「元気になったら」の元気は、いつ来るのか。

「元気になったら、ちゃんとやります」

この言葉を、私は面談の席で何度聞いたか分かりません。言った本人に嘘はありません。今の状態で始めても中途半端になる、だから万全の自分が来てから取りかかりたい、と本気で思っています。たいてい机の端か自分の膝を見ながら言うので、私は膝に向かってうなずくことになります。そして毎回、口には出さない疑問がひとつ残ります。その元気は、何月何日の何時に、どこから来るのか。

元気の開花予想は出ません

桜の開花予想はニュースで流れます。標本木があり、担当者が毎日見に行き、「あと三日」と言ってくれます。元気には標本木がありません。誰も見に来ません。したがって予想も出ません。理由は単純、観測する木がないからです。

それでも、私も含めてたいていの人は元気を桜のように扱います。いつか咲くもの、待てば来るもの、来たら分かるもの、来るまでは無理なもの。実際に覚えがあるのだと思います。ある朝ふと気分が軽くて、それで何かができた日。あの感じの再来を待っているわけです。私にも覚えがあります。天気の良い日曜の午前に急に部屋の掃除を始めたことが、この十年で二度ほどあります。二度です。掃除を元気に任せていたら、私の部屋は五年に一度しか片付かない計算になります。

ひとつ断っておきますと、専門の方から「今は休みなさい」と言われている期間のことを書いているのではありません。その期間は休んでください。私は医療の人間ではなく、口を出す資格もありません。ここで書いているのは、休む期間はもう過ぎたはずなのに、元気だけが到着していない人のことです。

「元気になったら」の後ろに並んでいるもの

元気になったら学校に行く。元気になったら勉強を再開する。元気になったら塾を探す。元気になったら部屋を片付ける。元気になったら友達に返信する。元気になったら朝起きる。元気になったら進路を考える。元気になったらバイトを探す。元気になったら親と話す。

そう、全部です。元気というひとりの社員に、会社の業務を丸ごと振っています。しかもその社員は出社時刻が未定です。私が上司なら、まずこの人に頼らない体制を作ります。

昔の塾で、これを「困難の分割」と呼んでいました。英語をほとんど勉強していない人に長い英文を訳せと言うと、「こんなの分かるわけない」と早々に理解自体を放棄します。実際には五文型と不定詞と関係詞の省略が分かれば読めるのですが、そこに辿り着く前に思考が止まります。「世界史」は大きすぎて勉強の対象になりません。「古代ギリシア」まで割ると、ようやく手が出ます。元気も同じです。「元気」は大きすぎます。あれは古代ギリシアどころか、世界史そのものです。

合図を気分から行動へ移す

そこで提案です。回復の合図を、気分から行動へ移してください。「気分が軽くなったら始める」をやめて、「これをやったら、それが今日の元気だったことにする」に変えます。順序をひっくり返すだけです。

やることは0.1で構いません。たとえばルーズリーフを一枚出して半分に折り、左に問いをひとつ、右に答えをひとつ書きます。問いは「ポルトガルから独立したアフリカの国は?」でも「三単現のsって何?」でも、昨日調べたことでも何でも結構です。ひとつです。昨日開いたページを今日も開く、でも構いません。読まなくて結構です。開いた、が本日の記録です。起きた時刻を紙に書くだけ、というのもあります。何時に起きたかは問いません。書いた、が記録です。

これのどこが勉強か、と思うでしょう。勉強ではありません。合図です。半分に折った紙に問いがひとつ書いてあって、それが机の上にある。これが今日の元気の観測記録になります。標本木がないなら、自分で植えるしかありません。

ゼロと0.1の差は無限大です。一方、0.1と1の差はたかだか九倍です。無限大を越えるほうがよほど大仕事なのに、多くの人はゼロのまま、いつか100になる日を待っています。小さく決めて、実際にやる。決意の最小単位は、紙を一枚折る程度です。

暗記の本質は思い出す回数を増やすことだと、昔から塾で言ってきました。元気も似ています。「やった」を思い出す回数が増えると、それがだんだん自分の像になります。逆に、「今日もやらなかった」を毎晩布団の中で思い出していれば、それも立派な反復です。方向が逆なだけで、暗記としては非常に効率よく進みます。

元気を経由しない人たち

私は塾業界に二十年ほどいて、延べ数千人の受験生を見てきましたが、部活を一生懸命やってきた生徒が引退後に爆発的に成績を伸ばす場面には何度も出くわしました。頑張り屋は何でも頑張ると言ってしまえばそれまでですが、私の見立ては少し違います。彼らは元気だから練習に行っていたわけではありません。雨の日も、負けた翌日も、練習があるから行っていただけです。元気を待たずに体を運ぶ癖が、たまたま勉強に転用されただけです。特別な才能ではなく、元気を経由しないルートを知っていただけです。私も小中高とサッカー部で、雨の日も元気がない日も練習へ行く癖は身についたはずなのですが、転用先に掃除が入っていなかったらしく、大人になってからも掃除では苦労しています。

元気を待っている人がやりがちなことが、もうひとつあります。元気が来た日に備えて計画を立てることです。教材を調べ、動画を見比べ、通信制の資料を並べ、一日十時間の時間割を作ります。準備は進んでいるように見えます。実際には、比べる対象が増えるほど選べなくなり、着手の日はさらに遠ざかります。私の見たかぎり、教材を三冊買った人と一冊も買っていない人の翌週は、たいてい似たようなものです。買った側の机が狭いぶん、むしろ不利かもしれません。

私自身、昔「どうせ書くなら大作を」と思って塾のブログを数か月放置したことがあります。大作は今も執筆中です。

当時の浪人生に向けて「受験はママのようには優しくない」と書いたこともありました。暑苦しかった点は許してほしいのですが、ひとつだけ今も同じことを思っています。元気もママのようには優しくありません。呼んでも来ませんし、来るとしても日時は教えてくれません。だから呼ぶのをやめて、先にルーズリーフを買いに行ってください。

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