参考書を買った日が一番勉強した気になる。
面談の席で、親御さまがスマホで撮ってきた本棚の写真を見せてくださることがあります。背表紙が綺麗に揃っていて、上の段に英語、真ん中に世界史と現代文、下の段には勉強法そのものについて書かれた本が三冊、どれも本屋の棚からそのまま引っ越してきたような顔をして並んでいます。本人に聞くと、付箋は一番左の一冊の十二ページ目で止まっていて、その先はまだ誰にも開かれていません。親御さまは「本は買ってあげたんですけど」と言い、本人は「どれが正解か決めてから始めようと思って」と言います。こんなとき、私は何から話せばいいのか分からなくなります。
背表紙が増えるほど、一ページ目が遠くなる
私立文系の受験に必要な科目は、英語、世界史か日本史、現代文、古文で、大体この四つで済みます。ところが本棚の中では話が違います。英単語帳、英文法の基礎、英文解釈の入門、と並んで、ここまでがまだ英語の棚の上段で、下段には長文演習と英作文と、なぜか二冊目の英単語帳が出番を待っています。他の三科目も同じ調子で細かく分かれていて、合計すると一人の高校生が一年で読める量を軽く超えます。この細分化は本人のためというより売る側の都合でできていると、塾を経営して教える側に回ってからはっきり思うようになりました。一冊で済むと言ってしまうと、残りの十九冊が売れないからです。
ただ、それをありがたがって買う側がいるから棚は増えるのであって、買う側だった頃の自分を思い出すと、売る側だけを責める気にはなれません。学校に行っていない子は、学校から配られる問題集がない分だけ本屋と動画が学校の代わりになりやすく、本棚は立派になりやすいです。四つの科目が二十冊に化けると、一冊目の一ページ目はどんどん遠くなります。どれから手を付けるかを決める作業が、勉強より先に順番待ちをしてしまうからで、決める作業はいくらやってもページが減りません。
勉強法の動画を見ている時間は、勉強には入りません
最近は本棚の横に、もうひとつ棚があります。勉強法の動画と比較サイトとランキング記事の棚で、こちらは場所を取らない分、際限なく増えます。勉強法をノートにまとめている子に会うと、文字が綺麗で、見出しに色まで付いていて、素直に感心します。
動画を三本見てノートに写せば勉強した気分にはなれますし、親御さまにも言い訳ができます。頑張ってる感だけはひたすら出ます。しかしそれは勉強ではなく、勉強とは覚えること、理解して頭の中に残すことで、それ以外はゼロです。と、三十代の頃の私は塾のブログに書いていました。四十八歳になった今も意見は変わっていませんが、言い方は少し変わりました。ゼロと言い切るとノートを綺麗に作った子が泣きますし、何より去年、かくいう私も掃除機を買うのに全く同じことをやっていたからです。
比較サイトを七つ開いて、吸引力の実験動画を見て、口コミの低評価だけを抜き出して読んで、どれが正解か決めてから買おうと思っているうちに三ヶ月が経ちました。多くの場合、ベストを選ぶよりベターでさっさと行動した方が早いのです。
どれが正解かは、始めてから分かります
ようやく本題に戻ります。どの参考書が一番いいかは私にも分かりません。分かっているのは、開かれた本だけが成績に関係する、というそれだけです。評判の良い本を閉じたまま持っていても、評判の悪い本を最後まで解いた子には負けます。参考書売り場で売られているものの半分は紙で、残りの半分は安心だと思っていて、安心の方はレジを通った瞬間に効き目が出て、三日ほどで切れます。
「どれが正解か決めてから」という口ぐせは、裏返すと、決まるまでは始めなくていいという許可証になっています。許可証の有効期限は本人が決めるので放っておくと無期限です。
増やす前に、減らします
再始動ラボで最初にやるのは本を減らす作業です。増やす方の作業は、本屋と動画がこちらが頼まなくてもやってくれています。本人には、本棚の参考書を段ボールに入れて、押し入れの奥に移してもらいます。捨てる必要はありません。視界から消えればいいので、押し入れがなければベッドの下でも、親御さまの寝室でも構いません。そして一冊だけ残します。他が見えなくなった途端、残した一冊が急に進み始めます。
親御さまにお願いしたいのは本を買い足さないことです。勉強に関しては一切口を出さない、というのが昔から変わらない答えで、参考書を買い与えるのも立派な口出しに入ります。善意で買った一冊が本棚で待機を始め、待機中の本が増えると、「親が(塾が、先生が、親戚のおじさんの嫁の弟の友人の幼馴染が)うるさいから勉強できない」という言い訳の材料が増えます。二十年見てきた中で、本棚だけが立派な子は一番多い部類で、その大半は一冊に戻したあと、呆気ないほど普通に進みました。
参考書を買った日が一番勉強した気になるのは、あの日に一番たくさん想像しているからだと思います。この本を最後までやった自分を想像して、その想像が気持ちよくて、翌日からは想像の方が本物より楽なので、想像を続けます。想像を止める方法は本物の一ページを今日開くことだけで、きれいな本棚を眺めるより随分地味でSNSにも映えません。ただ、映えない方が進みます。